感想 †
人が最も輝くのは、目標を定め、考え、行動しているところだと思う。
何か目標を持っている人は素晴らしいと思う。
流れの中で生きている私は、明確な目標を持ちそれに向かって漕ぎだすことを非常に困難としている。
目標をどうクリアするのか考え、考え、考えぬくことは非常に困難である。なぜならば考慮要因が大きすぎるからだ。要因を全て炙り出すことも、それについて考えることも共に困難である。
ましてや、それに対して行動することはもう不可能な領域である。前提条件として、それができていないとならないし、それはきっと多くの人が祝福してくれることでもないだろう。
考え行動するというのは、どうしても周囲と軋轢を生む行為である。多くの人は私を理解しないしあなたを理解しない。私は多くの人を理解しないし、あなたも多くの人を理解しないだろう。
しかし…、これはコミュニティが限定されればやや違う話になる。共同生活体である人たちの中で、先に上げたものと反することが起こることは多々あるだろう。
現在私は部分的にそういったコミュニティに所属していると認識しているが、そうでないコミュニティにも所属していると感じてる。
そんな中、この木洩れ陽のノスタルジーカは、ぶつかり合え、一緒にいて楽しい、互いに祝福しあえるコミュニティの物語である。
強引にまとめてしまえば、こういったコミュニティの物語はあるだけで気持ちいい。それぞれがしねまの為を考え、独自に行動し、且つそれを全員がサポートする。
基本的に行われる事象は全てこれであると言って良いと思う。
矢継ぎ早に出てくるしねまに関する問題に対し、それぞれがそれぞれの手法で解決に向かう。その過程で周囲がサポートを行う。
しねまに関する目標が立ち、どう解決するかを考え、それを全員で行動に移す。
冒頭で上げたとおり、やはり私はこれだけの要因でも物語を素晴らしいと思うし綺麗だと思う。
そんな物語が4本詰まっているのが、この木洩れ陽のノスタルジーカである。
更にそれは、Last episodeにより補完され、全体としてほのめかされてきたことが明らかになる。
物語内で提示された謎や伏線は基本的に物語内で回収して欲しい私にとって、このような形で綺麗にまとめてくれるゲームは非常にありがたかった。
シナリオの構造、主軸としてこのゲームはとても綺麗であると思う。骨子が非常に丁寧に作られているので、どのタイミングでも物語が楽しいのではないかと思う。
特に気に入った人物は、フロゥである。
彼女は偶発的に生まれたココロを持つ機械であり、人間とは思考経路が異なるのだが、彼女の考え方は非常に面白かったし、それこそ綺麗だなぁと思う。
また、恋に落ちてから直情的な振る舞いは非常に愛おしいものである。
時間があったらあらゆる人がやればいいんじゃないかなーと思うゲームである。
これで退屈する人は希だろうし、好きになれるキャラがいないこともないだろう。
やはりこの人が書くゲームは面白いんだなぁと思いました。
私はおとぼく2での酷くショックを受けたので、随分このゲームがプレイできなかったのですが、そういったことを気にかけずにもっと早くやっておくべきだったと思います。
最後に、ココロにぐさっとくるやつ引用しておきます。
一ノ瀬に向けて、翔太とフロゥ - 木洩れ陽のノスタルジーカより抜粋 †
「・・・・・・今のお前は、自分の持っている嫌悪感にただ科学的に反応するだけの、単細胞生物でしかない。そんなお前がフロゥやしねまの人間性を否定する資格なんかあるわけがない!!」
「お前はその『機械が嫌い』っていう自分の感情について、一体なにが原因なのか、なんの所為でそれほどまでに自分が機械を嫌いになったのか……一度だって考えたことがあんのか!?お前が逆の立場になって、理由もなく嫌われたりとか想像したことがあんのかよ!?」
「漠然として気持ちで条件反射に『機械が嫌い』つってるお前なんかより、なんで自分が機械なのかを純粋に悩んでるフロゥの方が、お前よりよっぽど、全然っ!人間臭いって、そう云ってんだよ!莫迦か!」
「私に対してなにを云うおうと、それは構わないよ一ノ瀬。社会病理の観点から『機械嫌い』は認知されている。二年戦争の負の遺産であり、私たちメトセラの汚点でもあるのだから」
「だが、そこに甘えない方が良い。お前が『機械嫌い』であることと、お前個人の評判とは、全く関係がないということを忘れるな……『機械嫌い』が嵩じてお前が人から嫌われても、社会はお前を守ってはくれないのだから」
「まだ気づかないのか。今の翔太を見ても気づかなかったのか?翔太だけではない。クラスのみなが、翔太のようにお前の『発作』を我慢しているんだ……このままでは、お前は本当に相手にされなくなってしまう」
「お前は、お前自身の為に……翔太が云ったように、『自分の怒りの正体』と向き合う必要があるのかも知れない。『怒り』というのは周囲の警戒を招く行為だ。そろそろ考えるべき時に来ているのではないだろうか――行こう」